大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和55年(わ)1640号 判決

主文

被告人を懲役一年に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴等)

被告人は、昭和三一年三月九州大学法学部を卒業し、同月裁判所書記官補に任命され、神戸地方裁判所姫路支部勤務を命ぜられ、昭和三三年三月書記官に任命され、昭和四四年簡易裁判所判事選考に合格して簡易裁判所判事に任命され、同年八月一日神戸簡易裁判所判事に補された。

その後、昭和四五年三月喜多方簡易裁判所判事に、昭和四七年五月会津若松簡易裁判所判事(兼ねて喜多方簡易裁判所判事)に、昭和四八年四月西淀川簡易裁判所判事に、昭和五一年三月福岡簡易裁判所判事に、昭和五四年四月一日小倉簡易裁判所判事にそれぞれ補され、小倉簡易裁判所に勤務中のところ、昭和五五年一〇月一二日福岡県糟屋郡久山町長選挙(同月一九日施行)に立候補届出をしたため、公職選挙法九〇条の規定により裁判官を辞したものとみなされるに至つた。

なお、小倉簡易裁判所勤務中は、福岡市西区所在の宿舎から国鉄を利用して通勤していた。

(職務権限等)

一  被告人は、昭和五四年四月一日以降小倉簡易裁判所判事として勤務し、同裁判所に係属する民・刑事各事件全般について裁判官としての一般的職務権限を有していたが、事務分配の定めにより、刑事第一審通常事件、略式命令請求事件(交通切符事件)、令状事件、民事調停事件、仮差押・仮処分事件など、民事及び刑事に関する諸事件を担当し、処理した。

二  昭和五五年四月一八日、加賀江光子に対する窃盗被告事件が小倉簡易裁判所に起訴され、同事件は同庁昭和五五年(ろ)第七七号事件(以下単に「原事件」と略称することがある。)として係属し、前記事務分配の定めるところにより被告人に配付された。被告人は以後同事件の審理を担当した。

三  従つて、被告人は、原事件に関し、当該被告人の召喚(刑訴法五七条、六五条二項、二七四条等)、同被告人に対する出頭命令及び同行命令(同法六八条)、公判準備手続の施行(刑訴規則一九四条)、求釈明(同規則二〇八条)、職権証拠調べの実施(刑訴法二九八条二項)、被告人質問(同法三一一条二項)、刑の言渡しの判決及び刑の執行猶予の言渡し(同法三三三条)等法令で定める権限の外、右事件につき適正、迅速なる裁判の実現をはかるための全般的訴訟指揮権を有していたものである。

(原事件の審理経過等)

一  原事件の公訴事実の要旨は、「被告人加賀江光子は、昭和五四年一二月二一日、北九州市小倉北区片野新町所在の喫茶店『ジロー』こと吉田ひろ子方において、同女所有の指輪一個(時価一三〇万円相当)を窃取した。」というものである。

二  第一回公判期日(昭和五五年五月二一日)において、加賀江は公訴事実を自白し、弁護人(国選)も同旨の意見を述べ、検察官請求の証拠の取調べを終了し、被害弁償をするために続行となつた。取調べずみの証拠によると、加賀江の住居、職業、身上(過去に結婚したことはないが、交際した男性があること、目下独身で、「クラブ」にホステスとして勤めていることなど。)、家族関係、経歴、職歴、裁判歴(昭和四四年に窃盗罪で懲役一年六月、三年間執行猶予に、昭和四五年に窃盗罪で懲役一年、五年間執行猶予、保護観察付き)などが明らかにされている。

三  第二回公判期日(同年六月一八日)において、弁護人請求の証人吉田ひろ子(被害者)に対する尋問及び職権による被告人質問が行われ、再度被害弁償のため続行となつた。

四  第三回公判期日(同年七月一六日、本件各犯行後)において、弁護人請求の書証(吉田ひろ子作成の加賀江宛の一〇万円の領収証)の証拠調べ、職権による被告人質問が行なわれたのち、検察官の論告、弁護人の弁論及び被告人の最終陳述がなされて弁論が終結され、次回公判期日(判決宣告期日)が同年八月六日と指定、告知された。

五  同年八月六日に予定の第四回公判期日は、検察官及び弁護人同意のもとに、同月五日付で職権により、同月二七日に変更する旨の公判期日変更決定がなされた。なお、右公判期日の変更は、被告人の父義雄が八月四日に死亡し、八月六日に葬儀が行なわれたためである。

六  第四回公判期日(同月二七日)は、弁護人の請求により、弁論再開決定がなされたうえ、弁護人請求の書証(吉田ひろ子各作成の加賀江宛の六〇万円、五〇万円の各領収証)の証拠調べ、職権による被告人質問が行なわれたのち、検察官の論告、弁護人の弁論及び被告人の最終陳述がなされて弁論が終結され、即日、「被告人加賀江を懲役一〇月に処し、三年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は被告人に負担させない。」旨の判決が宣告された。

(罪となるべき事実)

被告人は、小倉簡易裁判所判事として、加賀江光子に対する窃盗被告事件の審判を担当し、前記の諸権限を有していたものであるが、

第一  真実は右加賀江に対し自己との交際を求める意図であるのに、あたかも右被告事件についての被害弁償状況を尋ね、あるいは促すなど事件審判上の必要から同女の出頭を求めるものであるかのように装い、右被告事件を審理中の昭和五五年七月一一日午後八時四〇分ころ、北九州市小倉北区浅野町一丁目一番一号国鉄小倉駅構内の赤電話から、同区若富士町五番一号の、同女がその二階に居住する喫茶店「カド」に電話をかけ、居合わせた同女に対し、「裁判所の判事の安川ですが。」「例の件の弁償はどうなりましたか。」「これから弁償のことで、ちよつと会えないかな。」などと申し向け、同女をして、自己の被告事件について担当の裁判官から職務上出頭を求められたものと誤信させたうえ、同日午後九時ころ、前記小倉駅に近い同区京町二丁目四番二七号所在の喫茶店「カーミン」まで出向かせ、そのころから同日午後九時三〇分ころまでの間、同店内に同席させ、もつて自己の職権を濫用して同女をして義務なきことを行なわせ、

第二  右事件を審理中の同月一五日午後七時三〇分ころ、北九州市小倉北区船頭町二番一六号所在の丸山旅館において、右加賀江が右被告事件について寛大な判決を受けたい趣旨で情交に応ずるものであることを知りながら、そのころ、同所において同女と情交関係を結び、もつて自己の職務に関し賄賂を収受した、

ものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人の主張等について)

第一  被告人及び弁護人は、判示各事実につき、いずれも犯意を否定するなど、その罪責を争うので、まず本件犯行に至る経緯、犯行前後の事情等につき検討するに、前顕各証拠によると判示事実の外、次の各事実が認められる。

一  被告人は、昭和五五年七月一一日午後六時から八時ころまでの間、北九州市小倉北区下到津所在の下到津公民館において開催された裁判所・検察庁・警察署三庁のいわゆる交通裁判担当者の協議会及びその後の懇親会に出席した。

二  右協議会及び懇親会終了後、被告人は若干酒気を帯びた状態で、帰宅のため、午後八時三〇分ころ、国鉄小倉駅前に着いた。同駅午後八時二五分発(南福岡駅行)の快速電車は既に発車していたので、次の電車の時間待ちをしていた。

三  被告人は、同日午後八時四〇分ころ、同駅構内の赤電話で判示のとおり加賀江に電話をした。一方、右の電話を受けた加賀江は、担当裁判官からの弁償に関しての電話であり、しかも当時弁償が殆ど済んでなくて困つていた折でもあつたし、どうしても行かなければならないと思い、小倉駅前所在の喫茶店「カーミン」で落ち合うことを約し、不断着のジーパン姿のまま、直ちにタクシーで「カーミン」へ向かつた。

四  加賀江は、午後九時ころ「カーミン」前へ行き、待つていた被告人と共に同店内に入つた。当日、小倉は祇園祭で賑わい、「カーミン」も一階は満席だつたので、二階へ行つた。当初は両者相対してテーブルに着いたが、間もなくして、被告人は同女の横に席を移した。被告人は、同店内で、約三〇分間にわたり弁償等の話をした。加賀江は途中で被告人の態度に不審をいだき、口実をもうけて店外に出るように仕向け、同日午後九時三〇分ころ両者は相前後して同店を出た。

五  被告人は、「カーミン」を出ると、同女に、「お祭を見に行こう。」と誘つたが、同女から断わられると、「気晴らしに歩こう。」と誘いかけた。同女は、自分の担当裁判官からの誘いなので、断わつたら悪いと思い、それに応じた。

六  被告人は、それから、祭で賑わつている同区魚町一丁目、鍛冶町一丁目を経て、堺町一丁目所在の堺町公園付近まで約九〇〇メートルの間を、加賀江とそぞろに連れ立つて歩き、午後九時五〇分ころ、前記堺町公園付近で、同女と、同月一五日午後六時に前記「カーミン」で再会すること、を約束して別れた。

七  被告人は、「カーミン」で加賀江に逢つてから堺町公園付近で同女と別れるまでの間に、その時刻、場所、順序等は必ずしも定かでないが、加賀江に対し、窃盗事件について一般的な意味での被害弁償の必要性、弁償しないときの判決の見通し、原事件についての弁償の見込みの有無、(執行猶予となるための)最低限の弁償額、弁償しないと実刑の可能性があること、本日の電話が交際を求める趣旨のものであることなどをほのめかす一方、以前交際していた女性が加賀江に似ているので法廷で驚いたとか、自己の趣味や酒の話をしたりし、また歩行中にゲームセンターに立ち寄つたり、加賀江の腰部に手をまわしたりし、別れ際に弁償にかこつけて再度の密会を求めて、それを応諾させ、かつ、そのときには情交を求めるかも知れないことを暗示した。

八  被告人は、密会を約束した同月一五日午後六時ころ、前記「カーミン」へ赴いて加賀江が来るのを待つた。加賀江は、右「カーミン」に電話して、被告人に対し、「友達と会うので遅くなる。」と婉曲に断わつたが、被告人が「遅くなつても待つている。」と答えたので、結審予定の公判期日が翌日に迫つているのに、未だ被害弁償が全く進捗していなかつたこともあつて、担当裁判官である被告人の心証を害しては裁判結果が不利になると考え、すぐさま「カーミン」へ赴くことにした。なお、加賀江は、このままでは実刑判決を受けるおそれがあることを懸念し、被告人に逢つた際、情交を求められたら、自己に寛大なる判決を受けるため、これに応じるつもりでいた。

九  被告人は、同日午後七時ころ、前記「カーミン」の入口付近で、出向いて来た加賀江と逢い、同区船頭町方面へ向かつて約二〇〇メートル歩き同町二番一六号所在の丸山旅館前路上に到り、同女と共に同旅館に入つた。

被告人らは、同旅館二階客室に案内され、同室内において判示のとおり情交関係を結んだ。

被告人は、同旅館に到る道中および客室在室中に、同女に対し、弁償額が少ないこと、訴訟費用を払わなくてもよいように手続きしてやることなどを話したり、情交後、暗に執行猶予を付するかのようにほのめかした外、自己の家族関係などについて雑談し、また今後の交際を引続いて求めたりした。被告人等は午後八時ころ同旅館を出て、その足で小倉駅構内へ行き、午後八時少し過ぎころ、両者は別れた。被告人は別れ際に、加賀江に現金五万円を渡し、弁償金の一部にするようにと言い、被害弁償をした際の領収証の書き方や、領収証を翌日の公判開廷前に弁護人に届けておくよう教示した。

一〇  被告人は、その後、原事件を審理中の七月一九日、同月二三日、八月四日及び判決宣告後の九月四日にも加賀江と連絡し、密会を約束させるなどした。

一一  なお、被告人は、本件に先立つ昭和五五年四月二八日、某裁判官の送別会が小倉北区内の「ひびき荘」で開催され、それに出席し、同会終了後、帰宅の途中、午後八時ころ、国鉄小倉駅構内の赤電話から、かつて(昭和五四年末から昭和五五年二月中旬まで)自己が審理を担当した窃盗等被告事件の被告人下畠定の妻下畠良枝(当時三〇歳)方(北九州市門司区奥田町)に電話をかけ、同女に対し、「御主人のことで話しがあるので、お会いしたい。」などと言つて、同女を、北九州市門司区所在の国鉄門司駅待合室まで呼び出し、自らも同所へ赴き同日午後八時半ころから約二、三〇分間にわたり、同駅前の喫茶店において、初対面の同女に対し、同女の暮らし向きのこと、服役中の夫のこと、離婚手続きなどのこと、同女の死亡した子供のこと、同女の勤め先のことなどについて話しをし、そのすえ、「困つたことがあつたり、相談したいことがあつたら、相談にのつてあげる。」という趣旨のことを言つて、自己の勤務先の電話番号を教えて別れたことがある。

第二  以上認定の事実をもとにして、被告人及び弁護人らの主張ないしは弁解等について検討する。

一  判示第一の事実関係

1 呼び出し目的について

(一) 被告人は、「当日たまたま待合室で、次回期日の手控を見ているうち、弁償を怠つている加賀江に直接電話をして、弁償のことを尋ね、かつ、それを促そうと考え、電話をかけたもので、しかも電話だけで用を済ます心算であつて、全く親切心から出たものである。」と弁解する。

しかし、被告人は、小倉駅には午後八時三〇分ころ到着しており、次の下り電車は、小倉駅着午後八時三八分、同駅発午後八時四四分の予定(検八号、報告書)であり、電車待ちの時間は十数分間でしかない。この僅かな時間の、あわただしいときに、待合室で次回期日の手控を見て、加賀江の件を思い出し、わざわざ電話までして、弁償のことを尋ね、かつ、促そうと思つたなどというのは、一面において、当時通勤等で疲れ、一刻も早く帰宅して休みたいと思つていたという(被告人の当公判廷における供述)被告人の気持とも対比して考えると、余りにも不自然、不合理な行動と言う外ない。また、真に被告人の言うような趣旨の電話であつたのであれば、もう少し弁償についての会話があつて然るべきであると考えられるのに、格別の事情もなく、すぐさま「会えないかな。」と話しが進んでいるなど、まことに不自然である。なお、裁判官として、担当事件の被告人に被害弁償を促すのであれば、弁護人が選任(国選)されていることでもあり、次回公判期日(七月一六日)までには十分な日時があり、なにも七月一一日の夜に、急に電話までして話しておかねばならない必要性も緊急性もなかつたと言うべきである。

(二) また、被告人は、「右の電話の際、被告人の方から加賀江を呼び出したことはなく、むしろ同女の方から、『出向いて行く。』と言つた。」と弁解する。

しかし、それまでの両者の関係は、裁判官対被告人という立場であり、法廷で二回(第一、二回公判期日)会つたに過ぎない加賀江が、前判示のように、「例の件の弁償はどうなりましたか。」と問われただけで、たとえ相手が担当の裁判官であつたとしても、直ちに右のような申し出をしたとは考えられない。被告人のこの点の弁解は、前認定の状況に照らし、余りにも不自然で到底信用できるものではない。さらに、「カーミン」内で被害弁償の話が終つて店外に出たあと、小倉駅とは反対方向に、祇園祭で賑わう街を加賀江と共に約二〇分間にわたりそぞろ歩きをしており、その際私的な話題を持ち出したり、男女間の交際を求める気持を暗示したりしていることを考えれば純粋に親切心から出た弁償の勧告のみが目的であつたとは到底考え難いところである。

(三) 以上のとおり、被告人の右各弁解は到底信用できず、前記第一の一ないし一一に認定の諸事情を総合して考察すると、被告人は判示目的のもとに本件の電話をかけて、加賀江を出頭させたうえ、同席させたものと言うべきである。

2 本件呼び出し行為が職権行使の外形をとつているか否かについて

(一) 弁護人は、この点について、職権仮託行為であると言えるためには、その行為の相手方から見て、その公務員の行為が、適法な職権行為であると誤認あるいは誤信させる程度に、職権行為としての外形をそなえているか否かが重要なことである。このような観点から本件をみるに、(1)本件を仮に「呼び出し」と見ても、それは、電話による夜間の、かつ、日時、場所を特定しないものであるから、裁判官が被告人に出頭を求める行為とはみられない。(2)「カーミン」での同席は、夜の喫茶店での、コーヒーを飲みながら、喫煙しながらの会話であり、裁判官の職権行為としての外形は見られない。(3)被告人は法服も着ず、権察官、弁護人、書記官の立会いもないのであるから、職権行為の外形はない。(4)加賀江は、それまでの裁判歴からして、本件が裁判官の職権行為でないことは十分わかつていた筈である。従つて、職権仮託行為に該当しない、と主張する。

(二) 刑法一九三条にいう「職権の濫用」とは、公務員が、その一般的職務権限に属する事項につき、職権の行使に仮託して実質的、具体的に違法、不当な行為をすることを指称するが、職権の行使に仮託した行為と言えるためには、職権行使の相手方をして、その行為を職権の行使と誤信させるに足りるだけの外形をそなえていることが必要である。

(三) ところで裁判所は、訴訟の審理に一定の秩序を与え判決に到達するための合目的的活動として、いわゆる訴訟指揮権を有する。この訴訟指揮権は、判決宣告を除く手続きの全領域に及び、単に公判期日における訴訟行為だけでなく公判期日外の訴訟行為も含み、また形式的事項に限らず実質的事項についての裁判所の訴訟活動もこれに包含される。そして、訴訟指揮権の行使は、法及び規則に規定のあるものについてはそれに従うべきは当然であるが、必ずしも明文の根拠がなければ行使できないものではない。

たとえば、第一回公判期日後において、事件の審理、進行上の必要から事実上の公判準備(打ち合わせ)として、担当裁判官が、訴訟関係人(被告人を含む。)に対し、任意の出頭を求めたうえ、訴訟の審理、進行予定等の打ち合わせをしたり、被害弁償の進捗状況や示談の進行状況等について質問したり釈明を求めたりし、また、これらに関連して在廷証人の準備や提出予定の書証(例えば領収証等)を相手方に事前に閲覧に供しておくように勧告する場合なども右訴訟指揮の一態様であると言える。

そして、右のような事実上の公判準備の実施にあたつては、当事者への呼び出しは適宜の方法(電話、口頭、書面等)により、出頭場所(打ち合わせのための場所)も裁判所の庁舎内の適当な場所(共用室、会議室、裁判官室等)であればよく、出頭の日時も、猶予期間をおくなどして予め特定(指定)しておかねばならないものではない。また、右の出頭は強制されることなく、訴訟関係人全員の出頭さえ必ずしも必要ではない。さらに、時には書記官の出席する必要としない場合もあり、書記官、裁判官の制服(法服)の着用は不要である。こうした事実上の公判準備のあり方は実務上慣例化していると言うことができる。

これを本件につきみるに、本件は、前判示のとおり、当該被告事件の審理を担当する裁判官が、当該被告人に対し、自己がその裁判官である旨及び名前を告げ、当該事件の弁償状況を尋ね、かつ、弁償を促すつもりで、当該被告人の出頭を求め、喫茶店で同席のうえ、弁償等に関して話しをしたというもので、外形上、その時刻(時間)が裁判所の平常の執務時間内でないことと場所が裁判所の庁舎内でないということを除けば、前記の事実上の公判準備(打ち合わせ)におけるそれと殆ど異なるところでないのである。

そこで、右の時間及び場所の点と職権行使の外形性との関係について考えてみるに、刑事裁判の実務上、庁舎内での夜間執務(緊急を要する決定をする場合、例えば勾留の執行停止、勾留の裁判に関する準抗告事件の審理等)は時々あることであり、裁判所外での証人尋問(刑訴法一五八条、二八一条)及び裁判所外における検証(同法一二八条以下)などはしばしば行なわれることで、それが夜間に行なわれたり、夜間に及ぶことも間々あることである。また、そうした証拠調等の模様が報道機関によつて一般に報道されることが珍しくないことも経験上明らかであると言つてもよい。そうすると、刑事裁判の実務上、夜間に裁判所庁舎内又は裁判所外において種々の執務がなされていることは、一般にある程度理解されているものと言うことができる。そして、本件の場合、右の「時間」は午後八時四〇分ころから午後九時三〇分ころまでで、未だ「深夜」とか「就寝時間」といわれる程には遅くなく、その「場所」も前記喫茶店「カーミン」であり、通常の待ち合わせや用談等の場所として不適な所ではないのであるから、ただ右の「時間」及び「場所」のみをとらえて、裁判官の職務執行の外形を全く否定するのは妥当ではない。しかし、右の「時間」及び「場所」が裁判官の行なう前記の公判準備ないしは打ち合わせのそれとして相当でないことは多言を要しないところである。勿論、法曹関係者や学識経験者など刑事裁判の実務に精通している者ならば、本件の「呼び出し」や「同席」について、すぐに、その「時間」及び「場所」の点から、裁判官の適法な職務の執行か否かに疑問を持つであろうが、刑事裁判の実務に疎い通常人、しかも当該事件の被告人としての立場にある者からみて、その用件が被害弁償という極めて重要なことに関するものであつたことなど本件諸般の事情に照らすと、前記の「時間」や「場所」について、それが職権の行使か否かに関し格別の疑念をいだくことなく、職務上の「呼び出し」であると信じて出頭したうえ「同席」したとしても、それは無理からぬことと言うべきである。加賀江自身も前記認定のとおり担当裁判官の適法な職務の執行と誤信したからこそ、不断着のまま、すぐさまタクシーで相当の距離のところを出向いたうえ「同席」(途中で、職務の執行か否かについて不審をいだいたことは前記のとおり)したのである。つまるところ、本件の核心的事実は、裁判官が、強制力を伴う権限を含む強大な職務上の権限を有していることを前提にして、出頭を求めた者が事件の審理を担当する当該裁判官で、その用件が当該事件で最も重要な被害弁償に関するものであつたということであり、これを直視するならば、「時間」や「場所」の点について若干不審の点はあるものの、全体として、本件行為が職権の行使としてなされたものとして、その相手方を誤信させるに足りるだけの外形をそなえていたと認めるのが相当である。

3 なお付言しておくに、本件の出頭ないしは同席は任意的なものであるが、前記のような裁判官対被告人という関係からして、加賀江に対し、本件被告人の求めに応ずべき事実上の負担を生ぜしめる効果を有することは多言を要せず、それが濫用されれば加賀江をして義務なきことを行なわせるに足りるものであることが明らかであるから、いわゆる一般的職務権限の存在に欠けるところはないと言うべきである。

二  判示第二の事実関係

収賄の故意について

(一) 被告人は、この点につき、「加賀江と情交関係を結んだのは、七月一一日以降両者が互いに好意を寄せ合つた結果であつて、同女が寛大な判決を受けたいとの趣旨でこれに応じることを知りながら情交をしたものではない。」と弁解する。

しかし、七月一一日に約一時間、加賀江と会つて話した外には、法廷で裁判官と被告人という立場で二回しか会つていない両者の間に、真に被告人の言うような愛情ないしは大人としての情愛が生じたとみるのは、前記認定の諸事情に照らし容易に納得できるものではない。被告人の右弁解はたやすく信用できない。

(二) 他面、加賀江自身が寛大な判決を受けたいとの趣旨で情交に応じたことは前認定のとおりで、当時弁償の見込みが殆どなく、被害金額も多額で、前に裁判歴があること、そのままでは実刑判決を受ける可能性が極めて強い状況にあつたこと等を併せ考えると、加賀江の前記心情は自然であり、措信するに足りると考えられる。

(三) その外、さきに認定した七月一一日及び七月一五日の被告人の言動にかんがみると、判示のように、寛大な判決を受けたいとの趣旨でこれに応ずるものであることを知りながら情交関係を結んだと認めるのが相当である。

第三  結論

以上のとおりであるから、被告人及び弁護人らの主張ないし弁解はすべて採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九三条に、判示第二の所為は同法一九七条前段にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪については所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、なお訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、法律の公正な適用を職責とする現職の裁判官が、現に担当する事件の被告人に対し、職権を濫用し、かつ収賄をしたという職務犯罪である。

被告人は、自己の行為によつて加賀江に屈辱感を与えたのみならず、裁判官及び裁判所の信用を著しく傷つけ、司法の権威を失墜させたもので、その刑事上の責任は重大である。

しかも、事件発覚後判決に至るまで、自己の行為についての反省が全くみられず、不自然かつ不合理な弁解に終始したことは極めて遺憾である。

本件諸般の事情を考慮し、主文掲記の刑に処するのが相当であると思料した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例